「帰ってきたウルトラマン」
帰ってきたウルトラマン②
ウルトラセブンの放映が終わり、何度も再放送された初代ウルトラマンやウルトラセブンをそのたびに見ていたせいか、ウルトラセブン放映終了後にあった間も間と感じることもありませんでした。
初代ウルトラマン最終回でゾフィが出てきましたけど、ウルトラセブンまではウルトラ兄弟と言われることも思うこともなく、そういやウルトラセブンにはセブン上司が出てきたけど初代ウルトラマンは出てこなかったなと思うくらいでした。
けど、ある時、友人たちとの話の中でまたウルトラマンを見たいよな、ウルトラマン帰ってきてくれないかなと話していて、そんな時「帰ってきたウルトラマン」の放映の話を聞き付けました。
今と違って情報量が圧倒的に少ない時代です。
これはもう見るしかない、と思ってTVを食い入るように見ていました。
当時、小3から4くらいの子供でも分かったのがウルトラマンとはいえ、初代ウルトラマンとは何か違う、それがウルトラマンの体色・デザインによるものと気づくまで時間はかかりませんでした。
初代ウルトラマンが帰ってきたわけじゃない、でも憧れだったウルトラマンがまた見られるんだという思いで嬉しくなったことはよく覚えていますね。
帰ってきたウルトラマンの頃もまだいわゆるスポ根モノの流れが残っていて、キングザウルスⅢ世の時に編み出した流星キックの特訓のシーンは帰ってきたウルトラマン初期の特によく覚えてるシーンでした。
帰ってきたウルトラマンが地球上で行動するためには実体がなければならず、そして技を編み出す特訓まで行うとなると泥臭い日本人がと思うところ、日本人離れした顔立ちと長い手足の郷秀樹が遣ったものですから、意外以上の何物でもなかったわけですが、その郷秀樹を演じた団次朗氏が時代を羽たような演技をしてくれて、それこそ泥臭かったものですからこれはうれしかったですね。
その団次朗氏が先日亡くなてしまいました。
ウルトラシリーズで主演を務めた俳優さんが亡くなるのはこれが初めてですが、誰しもに流れる時間は同じ時間ですからいつかはこういう時が来るんだと思っても、やっぱり淋しいです。
団次朗氏があったからこその郷秀樹であり、郷秀樹あったからこその帰ってきたウルトラマンだったと思うんです。
初代ウルトラマンの時には感じなかった人間臭さ、ウルトラセブンの時はモロボシダンは正確に言うと宇宙人であり人間ではなかったのですが外見がすっかり人間そのものだったがために苦悩する宇宙人であったところ、郷秀樹は帰ってきたウルトラマンと一体化していましたけど、初めて人間がウルトラマンになってしまう先鞭をつけたのが帰ってきたウルトラマンであり、団次朗が怪演をしなければこれはなかったものと思いましたね。
帰ってきたウルトラマン⑧
使う技は初代ウルトラマンとほとんど同じでありながら八つ裂き光輪などは一度しか使われませんでした。
初期の段階ではまだ帰ってきたウルトラマンは発展途上だったのでしょう。
初めて他のウルトラ戦士であるウルトラセブンが登場し、ウルトラブレスレットをもたらしたのが大きなポイントになりました。
ウルトラブレスレットから様々な効用をhきだすことで汎用性を持たせて初代ウルトラマン特別化を図ることことに成功し、それでも基本はウルトラマンなんだということでポイントごとにスペシウム光線を使っていたことがうまくいったことにつながっていたように思います。
飛来する宇宙人や怪獣に同じものは櫃としておらず、そのたびに苦悩し、戦うヒントをMATだけじゃなく、私生活で近かった人にもらうことがより人間臭さを出していました。
最大のポイントはベムスターと並んでナックル星人の狡猾さだったでしょう。
身近な人たちが惨殺され、MATも壊滅させられそうになる中、初代ウルトラマンやウルトラセブンのサポートを受けて敢然と立ち向かう帰ってきたウルトラマンの姿は、完全にウルトラ戦士として成熟したものでした。
幼くもなく背伸びもしていなかったのがウルトラ第1期であり、人間臭さを最も出していた帰ってきたウルトラマンは郷秀樹を演じた団次朗の怪演がなければその味は出なかったものと思います。

団次朗氏のご冥福をお祈りします。
帰ってきたウルトラマン