「ダークファウスト」
昭和にせよ、平成にせよ、どのウルトラマンも光の化身でした。
ウルトラマン自体が光りなんですけど、そこがなかなか理解されず、そこから光の化身という事になっていったと思いますね。
昭和の時代は太陽を失った光の国の住人たちが、人工太陽を作り出し、その人工太陽の光を浴びた住人が超人になってしまったというところからウルトラマンが出てきたという流れでした。
平成に入ると、光の国の住人という事とは一線を画し、光=希望ということに焦点を充ててそこからウルトラマンが人類の希望の光として出てきたようになりました。
いずれにせよ、光を浴びたりすれば浴びる者が具現化していれば影はつきものであり、光を希望に置き換えてても失望という翳はつきものであり、いわば闇という事においては同じものだと思います。
ウルトラマンがそうした光の正義の使者であるならば、闇の使者はいるものだろうということは、実体化しているウルトラマンにもつきものです。
だから、この世はバランスが崩れたようなアンバランスゾーンが考えられるもので、その象徴が従来は怪獣ということでした。
しかしこれではあくまでウルトラマンと対をなすものということで、光の使者・ウルトラマンの影を意識させたものは、ウルトラマンネクサスの時のダークファウストが初めてでしたね。
ウルトラマンの影だからその能力も基本的にはウルトラマンと同じようなもので、必殺光線ダークレイ・ジャビロームやダークフィールドを繰り広げ、陰の能力だけにウルトラマンネクサスは干渉できないところにウルトラマンネクサスが苦戦した大きな要因の一つになっていました。
この影の使者は闇の使者の第1歩であり、それでもウルトラマンネクサスを苦戦させていましたから、闇の奥底知れない恐怖みたいなものがありました。
決して同等の能力を有していたのではないのでしょうけど、その存在を分かっていてもその姿を見てしまうとどこか取り乱したような部分はあったでしょうね。
その存在は分っていても、分かっていたのはその存在だけで、実はダークメフィストの人間体であった溝呂木が闇に操られていたことで殺されていた女性が、溝呂木の操り人形になっていたころ自体が闇の能力を増強させ、苦戦させていた大きな要因になっていたと思います。
これが奥底知れない闇の恐ろしさの一端であり、人の考えが及ぶようなことではありませんでした。
ウルトラマンネクサスも形を変えた希望という光の使者の物語でしたから、闇の存在はつきもののようではりましたが、人間の心の奥底にも通じる闇の存在は遠く宇宙の果てにもある闇に通じ、これが闇の力による物語の始まりだったかもしれません。
闇の物語の始まりではあっても、人が生きる空間にも存在し得る闇のようで若干の脆弱さはありました。
「赤き死の巨人」というのは実態は闇の力で操られていたる死人が、赤いボディで闇ではない空間にも存在してしまったことによるものでしょう。
でも、ボディに赤があっても目が黒いウルトラマンのような存在は、気味が悪いものですね。
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